コラム column

第八回 阿部和重と伊坂幸太郎

「システムにからめ取られない自由」をもとめて

仲俣 暁生

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 平成はインターネットに代表される情報通信技術が急速に発展し、社会のあり方が大きく変わった時代だった。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた平成7年はウィンドウズ95が発売された年でもあり、パソコンからインターネットへの接続が容易になった。また平成11年にはNTTドコモが「i-mode」のサービスを開始し、携帯電話からネットに接続する者が爆発的に増えた。

 こうした時代背景のもと、小説にも変化が現れる。それは社会の根底にあってその全体を動かすものに対する感受性の変化だ。社会を支配しているのは生々しい政治権力(それはときに人間くさいドラマを伴う)のシステムというよりも、冷徹で非人間的な情報管理システムであるという捉え方である。「高度情報化社会」という言い方は昭和末期にすでに存在していたが、それが社会全体を覆う現実となったのが平成という時代だった。

 平成6年に「アメリカの夜」が群像新人文学賞を受賞してデビューした阿部和重は、そうした時代を象徴する純文学作家だ。阿部は日本映画学校(現在は日本映画大学)出身で、「シネフィル」と呼ばれるようなタイプの熱烈な映画マニアである。映画というモチーフはデビュー作以後も、作品に繰り返し描かれることになる。
 阿部和重が読者を飛躍的に拡大させたのは、平成9年に発表された『インディヴィジュアル・プロジェクション』という作品の成功によってである。この時代の若者文化の中心地だった渋谷の町を舞台に、〈高踏塾〉という秘密結社的な組織(日本映画学校がモデルといわれる)の構成員が繰り広げるどこか滑稽で謎めいた闘争を描いた同作で、阿部和重は「J文学」とも呼ばれた現代文学シーンの中心的作家とみなされるようになった。平成17年には『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞を受賞、平成22年に刊行した『ピストルズ』では谷崎潤一郎賞も受賞した。

「引きこもり」少年が夢想する「最終解決」計画

 平成13年に発表された『ニッポニア・ニッポン』は、インターネットの発展がもたらした情報化社会に過剰に適合した「引きこもり」的な若者を主人公とした作品である。またこの小説は、昭和35年に起きた右翼少年・山口二矢による浅沼稲次郎暗殺事件を題材に大江健三郎が書いた「セブンティーン」という小説を踏まえている。ニッポニア・ニッポンは日本の国鳥トキの学名であり、当然ながらそこには政治的な含意がある

 『ニッポニア・ニッポン』はこんな話だ。主人公の鴇谷(とうや)春生は17歳で、地元の高校をある事件のため中退し、東京で一人暮らしをしている。春生はインターネットなどで得た様々な情報から、佐渡で生育されているトキに強い関心を抱くようになる。そしてトキに対して「解放・飼育・密殺」のいずれかを行う「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」という妄想にのめり込んでいくのだ。
 春生は生活している時間のすべてをトキの研究にささげている。それはかつて同級生の本木桜という少女に対して行ったストーカー行為が方向を転じたものでもある。だから春生はトキに対して、このような複雑な感情を抱いている。

 崇高な希少動物トキは、何しろあまりに非力であり、抵抗の術さえ剥奪されてしまい、もはや操り人形みたいなものに改造されかけているため、俺の援助を強く必要としている。俺もまた、世間から自分という存在を消されぬために、トキの境遇を利用して、独自の行動を起こさねばならない。それゆえに運命が、俺とトキを固く結び付けた。トキは、復讐の協力を得る代わりとして、俺の人生に多大な意味を付与し、有意義な変革へと導くだろう。必ず、そうなる。
 俺を一人にしたことを、この国の連中すべてに後悔させてやる……。

 春生の「最終解決」計画は無残な失敗を遂げるのだが、それはあくまでも一つの「終わり」でしかなく、情報化社会においては同様のプロセスが無限に反復されていくであろうことが作品の結末で示唆される。阿部和重はその後、このモチーフを「神町三部作」とも呼ばれる長編シリーズ『シンセミア』『ピストルズ』『Orga(ni)sm』(「文學界」で連載中)でさらに展開して行くことになる。

システムエンジニアからベストセラー作家へ

 システムエンジニアから小説家に転じた伊坂幸太郎も、情報化社会を背景とした物語を紡ぎ続けている一人だ。平成8年、第13回サントリーミステリー大賞に応募した『悪党たちが目にしみる』は佳作にとどまったが(のちに大幅に改訂され『陽気なギャングが地球を回す』として刊行)、平成12年に『オーデュボンの祈り』が新潮ミステリー倶楽部賞を受賞し小説家とてデビューする。

 こうした来歴からミステリー作家という位置づけがなされることもあるが、平成15年に発表された『重力ピエロ』が直木賞候補作となった頃から、伊坂幸太郎は若い世代を中心にジャンル小説の枠にとどまらない広汎な読者を獲得していく。平成20年に発表された『ゴールデンスランバー』は本屋大賞と山本周五郎賞を同時に受賞し、伊坂幸太郎は名実ともに平成を代表する小説家の一人として位置づけられた。
 伊坂幸太郎の作品はプロットが巧みであることが特徴で、そのためか映画化されることが多い(自身も映画ファンであることを公言している)。『アヒルと鴨のコインロッカー』『重力ピエロ』『ラッシュライフ』『ゴールデンスランバー』など主要作のほとんどが映画化され、その数は十作をすでに超えている。

 ベストセラーを多く放っている伊坂の代表作を選ぶのは悩ましいが、ここでは思い切ってデビュー作『オーデュボンの祈り』を取り上げることにしたい。なぜならこの小説も阿部和重の『ニッポニア・ニッポン』と同様、自分の居場所を追われてしまった青年の孤独を描くとともに、「鳥」が主要なモチーフとなっているからだ。

この島に決定的に欠けているもの

 仙台市の先、牡鹿半島の沖合にあるとされる「荻島」という離島が、この不思議な物語の舞台である。主人公の伊藤は元プログラマーで、会社を退職後にふとした動機でコンビニ強盗を働いてしまい、小学校時代の同級生である悪辣な警察官・城島に追われている。
 荻島は江戸時代から「鎖国」が続いているという不思議な島で、現代文明がほとんど入り込んでいない。ようするに「高度情報化社会」とは無縁の場所だ。この島には「優午」という名をもつ「喋るカカシ」がいて、未来を予言する能力があるとされている。しかし「優午」はその未来を決して誰にも教えない。
 この「優午」が「殺され」てしまったことから物語は展開しはじめる。犯人は誰で、その動機は何か? こうした謎解きの要素を含みつつも、この小説の主題はもっと他のところにある。荻島の住人は、この島にはなにか決定的に欠けているものがあることに気づいている。それはいったい何か? というのがこの小説の真の主題である。

 表題の「オーデュボン」とは実在したアメリカの鳥類研究家で、詳細な絵で鳥類図鑑を描いたことでも知られるジョン・ジェームズ・オーデュボンのことだ。阿部和重の『ニッポニア・ニッポン』では絶滅が危惧されるトキがモチーフだが、伊坂の『オーデュボンの祈り』では、すでに絶命してしまったリョコウバトが象徴的な意味をもつ。純文学とミステリーという出自の差や、表面的な作風の違いを超えて、この二人の小説家はとてもよく似た問題意識をもっていることが、このことからもよくわかる。
 阿部和重の場合、ともすればこのシステムにがんじがらめにされてしまいがちな若者の悲劇を描く傾向が強いのに対し、伊坂幸太郎はそこからなんとか逃れようとし、からめ取られないために戦う者たちを描くのだ。

レノン=マッカートニー的な奇跡の「合作」

 こうしてみると、阿部和重と伊坂幸太郎がタッグを組み、平成26年に『キャプテン・サンダーボルト』という長編小説を「合作」したことは必然的な流れだったのかもしれない。純文学とミステリーの作家の共作というだけでもめずらしいが、この小説は分担執筆ではなく、文章全体に二人が手を入れた完全な合作なのだという。

 以前に吉田修一と絲山秋子を取り上げた回で地方を舞台とした小説に触れたが、伊坂幸太郎と阿部和重についてもそれは当てはまる。阿部は自分の出身地である山形県の神町という集落を舞台とした物語を書き続けているし、伊坂幸太郎の小説はそのほとんどが仙台を舞台にしている
 二人の「合作」である『キャプテン・サンダーボルト』は、その中間にある蔵王の五色沼で採取される水をめぐる物語である。「村上病」という感染病の原因とされるその水は、どうやら第二次世界大戦末期の東京大空襲にまぎれて飛来し、蔵王に墜落した米軍機と深い関係があるらしい。その水をめぐる騒動に、小学生時代の悪友同士だった相葉時之と井ノ原悠が巻き込まれる。

 戦争や国家権力にまつわる巨大な謎というモチーフはいかにも阿部和重的だが、その謎に主人公が独力で立ち向かうのではなく、信頼を土台として友だち同士が力を合わせるという展開はいかにも伊坂幸太郎的である。それぞれ特徴のある二人の文体はみごとな調和のもとに均され、どの部分をどちらが書いたのかわからない。名前を区別してクレジットする前の藤子不二雄のマンガのような、あるいはレノン=マッカートニーとクレジットされたビートルズの楽曲のような、理想的な「合作」が誕生した。
 この小説のタイトルは1974年(昭和49年)に制作されたマイケル・チミノ監督の映画『サンダーボルト』にちなんでいる。クリント・イーストウッド演じるサンダーボルトと、その相棒でジェフ・ブリッジスが演じるライトフット。相葉と井ノ原は自分たちをこのコンビになぞらえている。そして阿部和重と伊坂幸太郎というまったく異なるスタイルをもつ二人の小説家も、この奇跡的な作品を「合作」するため、無二の相棒同士として奮闘したのである。

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