コラム column

第一回 宮部みゆきと恩田陸

ミステリーがファンタジーを内包しはじめた時代

仲俣 暁生

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 まもなく終わりを告げる「平成」とは、どんな時代だったのか。それをこの時期に書かれた小説を読み返しながら考えてみたい、というのがこの連載の趣旨である。

 平成元年(1989年)といえば、天安門事件やベルリンの壁の崩壊など、世界史的な出来事が相次いだ年だ。グローバルな視点に立つなら、元号で時代を区切ることにはほとんど意味はない。しかしこの連載では、あえて元号で表現してみようと思う。そこになんらかのリアリティを感じられるか、それともまったく感じないかは、連載を最後まで書き終えてから判断してみたい。

 平成という時代の小説を特徴づけるのは、広義の「ミステリー」が質量ともに隆盛したことだ。厳密なジャンルとしての「推理小説」に限らず、サスペンスやホラー、ときにはSFも含めた謎解き風味のエンタテインメント小説が、書店の「ミステリー」の棚にところ狭いしと並んだ。そしてこの広義の「ミステリー」を舞台に、きわめて才能ある作家が相次いで登場した。それが平成という時代だったように思う

 その筆頭として、私は宮部みゆきの名を挙げたい。
 宮部みゆきは、スタイルの多様性においても獲得した読者の量においても、まさに平成という時代を象徴している。

平成改元と同時に始まった宮部みゆきの快進撃

 宮部みゆきの作家デビューは昭和62年、第26回オール讀物推理小説新人賞を受賞した『我らが隣人の犯罪』である(平成2年に単行本化)。昭和63年には『かまいたち』が第12回歴史文学賞佳作に入選。ミステリーと時代小説のどちらも書ける逸材として注目された。

 平成元年、最初の著作として刊行されたのは元警察犬の老犬マサの視点から語られるユニークなミステリー、『パーフェクト・ブルー』。同じ年に刊行された『魔術はささやく』は第2回日本推理サスペンス大賞を受賞した(ちなみに第1回は大賞は受賞者なし)。こう書くと天才肌の作家に思えるが、じつは宮部みゆきは努力家である。小説を書き始めたのが遅かったため、創作教室に通って小説技法の指導を受けたことが、結果的に作家デビューにつながったという話は有名だ。
 平成3年に刊行した『龍は眠る』と『本所深川ふしぎ草紙』は、翌年にそれぞれ第45回日本推理作家協会賞(長編部門)と第13回吉川英治文学新人賞を受賞。とんとん拍子で受賞が続いたが、平成4年に刊行された『火車』は、同年下期の第108回直木賞候補になったものの落選(そのかわりに第6回山本周五郎賞を受賞)。宮部みゆきの直木賞受賞は、平成11年の『理由』(第120回直木賞)まで待たなければならない。

 初期の代表作『火車』までの作品のうち、今回とくに話題にしたいのは『レベル7』である。賞をとることはなかったが、宮部みゆきの本質を理解する上で重要な作品だからだ。ちなみに、この題名をみてジャック・フィニィの『レベル3』という小説を連想した人は、かなりの小説好きだろう。私も当時、それがきっかけでこの作品を手に取った。実際、作中で登場人物がフィニィのこの小説に言及するのは、宮部みゆきなりの読者サービスである。

生活者感覚と超現実的な要素の共存

 『レベル7』はどんな小説なのか。未読の方の興を削がない程度に紹介しておこう。
 冒頭で、どうやら東京東部にあるらしいマンションの一室で、記憶を失った若い男女が目を覚ます。二人は自分の名前さえ覚えておらず、お互いがどういう関係なのかもわからない。さらに女のほうは、まもなく視力まで失ってしまう。二人の共通項は、それぞれの腕に「LEVEL 7」という謎めいた文字が書かれていたことだけだ。
 この小説の主人公は、真行寺悦子という中年女性だ。夫と死別し旧姓に戻った彼女は、生命保険会社が運営する「ネバーランド」という電話応対サービスのスタッフとして働いている。その常連客だった貝原みさおという女子高校生と悦子は親しくなり、電話以外にも実際に会って話をするようになる。
 ところがみさおは、悦子に何も言わぬまま、ある日失踪してしまう。彼女の日記には、「明日 レベル7まで行ってみる。戻れない?」という謎めいた言葉が残されていた。悦子は娘のゆかり、元新聞記者だった実父の義夫とともに、消えたみさおの探索に乗り出す。そして最終的に、ある地方都市で起きた大量殺人事件の真相が明らかになるのだった。

 宮部みゆきのいくつかの作品では超能力や超常現象が、あたかも自然なことであるかのように起きる。初期作品ではとくに顕著で、『魔術はささやく』と『龍は眠る』ではいずれも超能力が重要な意味をもつ。宮部みゆきがもっとも影響を受けた海外作家はスティーヴン・キングであり、「日本のスティーヴン・キング」と呼べる作家を一人挙げるとしたら、やはり宮部みゆきになるだろう

 その後、クレジットカード破産を題材とした『火車』では一転してリアリズムが基調となる。ノンフィクション風の文体で書かれた『理由』も同様だった。平成初期はバブル経済が最高潮に達した地点から、日本社会がすべりおち始めた時代でもあった。当時の世相を反映する題材をリアリズムで描いたこれらの作品は高い評価を受け、宮部みゆきの読者層を格段に広げることに寄与した。
 だが、その後も宮部は超常現象という設定を封印したわけではない。超能力をもつ若い女性を主人公とするキングへのあからさまなオマージュ作品『クロスファイア』(平成9年)や、「心霊写真」をモチーフとした近年の『小暮写眞館』(平成22年)という長編を挙げれば十分だろう。
 では『レベル7』はどうか。この作品に超常現象は出てこないものの、宮部の初期作品特有のファンタジックな気配を多分に残している。その一方で、昭和末に現実に起きた事件が影を落とすエピソードもある。完全なファンタジーでもなく、たんなるリアリズム小説でもない。両者のバランスを上手にとったしかもプロットの巧みさに磨きがかかり、エンターテインメントとしての水準が一気に上った作品なのだ。
 宮部みゆきの描く世界は、東京の下町で生まれ育った者ならでの実直な生活者感覚と、超現実的な要素とが共存しているところに特徴がある。
 『レベル7』の場合、記憶喪失の二人や消えたみさおをめぐる謎がファンタジックな夢想を誘うのに対して、真行寺悦子の父・義夫がいい具合に「重し」の役割を果たしている(同様の登場人物として『模倣犯』における有馬義男がいる)。しっかりした土台があってこそ、想像力をいっそう高く向けて羽ばたかせることができる、といわんばかりに

「落選作」でデビュー

 さて、「ファンタジックな」という言葉が出たところで、二人目の作家を呼び出したい。この連載では毎回、二人の作家を組み合わせて論じていく。宮部みゆきとともに紹介するのがふさわしい平成の作家と言えば――恩田陸である。

 恩田陸がデビューするまでの経緯はユニークだ。
 彼女の第一作『六番目の小夜子』は、平成3年の第3回日本ファンタジーノベル大賞の「落選作」だった。最終選考までは残ったものの、大賞にも優秀賞にもならなかったのだ。
 通常、そうした作品が刊行されることはないが、恩田はラッキーだった。受賞を逃したものの捨てがたい作品を発表する場として、文庫オリジナルの「ファンタジーノベル・シリーズ」が生まれ、その一つとして『六番目の小夜子』は平成4年に刊行された(同様のかたちでデビューした一人に、『魔性の子』の小野不由美がいる)。
 その後、『六番目の小夜子』は大幅に改稿されて平成10年に「単行本化」され、現在新潮文庫に納められているのはこちらのバージョンである。

 『六番目の小夜子』は、地方の進学高で代々受け継がれてきた、とある「行事」をめぐる物語だ。ひそかに代々受け渡されてきた「鍵」の持ち主は、三年目ごとに自分が「サヨコ」だと名乗り出て、自作の演劇作品を学園祭で上演しなくてはならない。しかし過去の「サヨコ」をめぐっては、一つの悲劇が語り継がれていた。
 初代から数えて六番目の「サヨコ」が姿を表すはずの年に、この物語は始まる。しかもこの年、実際にサヨコという名をもつ美しい転校生がやってくる。このサヨコは果たして「サヨコ」なのか。読者はそのサスペンスを楽しみながら、この作品を読むことになる。
 
 もっとも、のちの恩田陸のウェルメイドな物語作品に親しんでいる読者には、このデビュー作は瑕疵かしが目立つかもしれない。そもそも「サヨコ」はコワイ存在なのか、それともただの普通の高校生なのか、というあたりが判然としない。だが、青春時代というのはリアリズムで描こうとしても、どこかファンタジックになってしまう時期だ。『六番目の小夜子』のゆらぎは、少年期の終わりを描くがゆえの必然だったのかもしれない。
 恩田陸自身は、この作品を「NHKの少年ドラマシリーズ」へのオマージュとして書いたと述べている(最も有名なのは、筒井康隆のジュブナイル小説『時をかける少女』を原作とする『タイム・トラベラー』だろう)。十代特有の感受性を、その後も恩田陸は大切にしつづけた。おそらく自身の高校時代の大切な記憶をそこにしのばせつつ。

のちの傑作につながるエッセンス

 地方の高校で伝統的に受け継がれてきた行事というモチーフを昇華させた、恩田陸の代表作が平成16年に出た『夜のピクニック』だ。この作品は第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞を受賞。根強いファンがいながら文学賞に恵まれなかった彼女にとってのステップボードとなった作品であり、ロングセラーとしていまも読み継がれている。

 ファンタジックな作品が多い印象がある恩田陸だが、純粋な「推理小説」も手がけている。なかでも本格的な「謎解き」の短編ばかりを集めた『象と耳鳴り』(平成11年)という作品集がある。この本で「探偵役」をつとめる関根多佳雄が、じつは『六番目の小夜子』の準主役ともいえる関根秋という少年の父親という設定なのは面白い。「主人公の父親」に渋いキャラクターを据えるあたりは宮部みゆきとも共通している。彼女らの作品で「父」の存在が肯定され信頼の対象となっているのは、現実の世界において進行していた父性の喪失を埋め合わせるものだったのかもしれない。
 ご存知のとおり、恩田陸は平成28年に刊行された『蜜蜂と遠雷』で第156回直木三十五賞と第14回本屋大賞を受賞した。本屋大賞を二度受賞した作家は恩田陸が初めてであり、どれだけ書店員に愛された作家だったかがわかる

 ところで、平成初期の二人の作品を読み返すと、スマホやインターネットが登場しないのは当然にしても(デジタル方式の携帯電話が登場したばかり)、登場人物がタバコを吸う場面がとても多いことに気づく。いまの若い読者にはとても不思議だろうが、こればかりは時代の流れだから仕方がない。
 だが安心してほしい。人々がタバコのかわりにスマホを手放せなくなった時代にも、この二人はすばらしい傑作を書き続けている。

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