コラム column

第二回 多和田葉子と佐伯一麦

「私小説」と「エクソフォニー」

仲俣 暁生

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 今回は「平成」という時代が始まったばかりの頃の純文学の状況を振り返ってみたい。純文学のいちばんわかりやすい定義は、「文芸誌」に掲載される小説ということだ(たとえば「新潮」は文芸誌、「小説新潮」は小説誌である)。

 そして平成初期には、現在より月刊文芸誌の数がひとつ多かった。「新潮」「文學界」「群像」「すばる」のほかに「海燕」という雑誌があったのだ(福武書店[現ベネッセコーポレーション]刊)。同誌は昭和57年に創刊され、同時に創設された海燕新人文学賞からは吉本ばなな(第6回)、小川洋子(第7回)、角田光代(第9回)など現在も活躍する作家がデビューしている。平成初期の純文学を代表する作家、佐伯一麦もこの「海燕」という雑誌からデビューした。

外部から社会をとらえる「私小説」

 佐伯一麦は1959年宮城県仙台市生まれ。地元の進学校に通ったが大学には進学せず、上京して週刊誌記者や電気工などの仕事をしながら小説を書き続けた。昭和59年に短編「木を継ぐ」が第3回海燕新人文学賞を受賞してデビュー。幼少時に受けた性的暴行のトラウマから、妻や子どもとの私生活の細部までを内省的に描いた「私小説」は古風でありながら、端正なその文体はどこか新鮮だった。

 すでに村上龍や村上春樹、吉本ばななや高橋源一郎といった「ポストモダン」な作家が活躍していたこの時代に、私生活を赤裸々に綴る「私小説」は日本の近代文学の旧弊さを象徴するものとみなされがちだったそんな時代に、あえて反時代的ともいえるスタイルで書き続ける佐伯の存在は際立っていた

 ところで、実質的に昭和最後の年である昭和63年に、新潮社は三島由紀夫賞を創設している(当初の審査委員は江藤淳、大江健三郎、筒井康隆、中上健次、宮本輝)。第1回の受賞作は高橋源一郎の『優雅で感傷的な日本野球』だったが、佐伯の『雛の棲家』(「木を継ぐ」等を収録した短編集)も候補作に含まれていた。2年後、それまで「私小説」的に描いてきたモチーフを青春小説風にアレンジした『ア・ルース・ボーイ』が第3回三島賞を受賞し、佐伯の作家生活は本格化する。

 佐伯一麦の初期の代表作は『ショート・サーキット』(平成2年)だ。電気工としての実体験を踏まえて書かれたこの作品では、主人公が「かれ」という三人称で描かれる。都市空間から家庭内まで、社会に遍在する電気設備をメンテナンスすることが「かれ」の仕事だ。自身の内面を見つめるだけでなく、社会を外部から眺める明確な視点を獲得したことで、『ショート・サーキット』は「私小説」という枠から解き放たれた傑作となった

 この成功を受けて、佐伯は平成5年から長編『渡良瀬』の連載に取りかかる。初期の小品で描き継いできた「私小説」的なモチーフを本格的な長編作品に編み上げようとした意欲作だったが、平成8年に連載先の「海燕」が9月号で休刊となり、『渡良瀬』は連載27回目で中断を余儀なくされてしまう。この作品の完成は、17年後の平成25年まで待たなければならない。

「母語の外」で書くということ

 平成初期の純文学を語る上で、欠くことのできない重要な作家がもう一人いる。平成3年に『かかとをなくして』(投稿時の題名は「偽装結婚」だったが受賞のさいに改題)で第34回群像新人文学賞を受賞してデビューした多和田葉子だ。

 多和田葉子は1960年東京生まれ。大学卒業後、東西統一前の西ドイツのハンブルクに移住し、働きながら語学学校に通った。日本でのデビューこそ平成に入ってからだが、それ以前から多和田はドイツで詩や小説を(しかも日独両言語で)発表していた。デビュー後も多和田は日本に戻ることなく、「母語の外にいる状態(エクソフォニー)」のまま小説を書き続けた

 多和田の出世作としては、やはり平成5年に芥川賞を受賞した『犬婿入り』を挙げるべきだろう。いわゆる「異種婚姻譚」のかたちを借りた寓話的な小説だが、彼女の作品としてはめずらしく日本が舞台であり、母国や母語に対する距離感がよく出ている。
 多摩川沿いにある郊外の公団住宅で、小学生相手の塾講師をしている「北村みつこ」という中年女がこの物語の主人公だ。一度かんだ鼻紙をなんども使うと噂される彼女の塾は「キタナラ塾」ともよばれている。そんな塾にある夏の日、「太郎」と名乗る若い男がやって来る。太郎はみつことたちまち性交をするや、そのまま居着いてしまう。みつこのからだのニオイを嗅ぐことが「唯一の趣味」という太郎はどこかケモノじみている。
 多和田葉子の小説は、言葉に対するあまりにも厳密な態度もあって、どこかとっつきにくいものが多い。だがこの『犬婿入り』やのちの『ふたくちおとこ』のように、民話的かつ性的なモチーフをもった作品もある。「私小説」という反時代的なアプローチをとった佐伯とは対照的だが、別の角度から多和田もこの時代の純文学に対して揺さぶりをかけようとしていた

「昭和/平成」のつなぎ目をあらためて描く

 佐伯一麦と多和田葉子とは「外からの視点」という点でも共通するものが多い。「電気工」はさまざまな家庭に立ち入るが、その部外者であり続ける。『犬婿入り』の北村みつこの「塾講師」も同じだ。多和田はデビュー後もハンブルグにとどまり、佐伯は故郷の仙台に移住して作品を書き続けた。二人とも平成時代の「東京」という場所からは距離を置いたのだった。

 佐伯一麦はその後も、大病や自殺未遂、前妻との離婚や新しいパートナーとの生活といった自身のプライベートな出来事を作品に織り込んでいった。佐伯にとって転機となったのは、北欧ノルウェーでの一年間の生活だろう多和田と同様「母語の外」に出ることで、彼の作品世界はさらに一回り大きくなった。この在外体験は平成13年に「群像」で連載が始まった長編『ノルゲ Norge』(刊行は平成19年)で丁寧に描かれている。

 佐伯と多和田は世代もデビュー時期も近く、昭和の終わりに小説を書き始め、平成を通じて書き続けた点でも共通している。そんな彼らが、時代の変わり目にきわめて意識的だったのは当然である。日本の元号が昭和から平成へと変わる頃、多和田がいたドイツではベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一される。さらにソ連と旧共産圏が崩壊し、世界は激動の21世紀へと向かっていく。
 多和田葉子が平成16年に発表した『旅をする裸の眼』は、東西分断下の東ベルリンで拉致され、統一後もそのまま西側で生活することになるベトナム人の少女の視点で描かれた物語である。共産圏の優等生少女という「外部」の眼からみた当時のヨーロッパの様子が、(あえてここでは西暦とするが)1988年から2000年までの一年刻みの章立てで綴られており、時代の転換期について意識的に記述した作品であることがわかる。

 他方、佐伯一麦は平成8年に中断した『渡良瀬』を、平成25年に長編作品として完成させた。連載開始から20年を経てはいるものの、昭和の終わりから平成の初めにかけての社会のディテールが真空パックされたかのように生々しく保存されており、回顧的な視点で書かれていないため、無用なノスタルジーを喚起することもない。平成末期のいまこそ読まれるべき小説として成立しているのが見事だった。

東日本大震災後の苦闘と達成

 いまなお活発に執筆を続けている佐伯一麦と多和田葉子は、平成23年に起きた東日本大震災の衝撃を、まったく違ったかたちで小説に反映させている。

 佐伯は認知症にかかった父親の介護の顛末を描いた長編『還らぬ家』を連載している途中であの震災に見舞われた。自身の郷里であり作品の舞台でもある仙台市は、津波で大きな犠牲者を出した。平成20年という近過去を舞台に描かれていたこの物語のなかに、突如として「震災後」の現実が流入してくることを佐伯一麦は止めなかった。その結果、『還らぬ家』は一種のメタフィクショナルな構造をもつことになり、過去を安定した物語としてパッケージ化した「私小説」としては破綻してしまう。だがその破綻こそが、他の方法によっては語りえない、震災の与えたあまりにも大きな衝撃を伝えていた

 多和田葉子はまず、平成26年に短編集『献灯使』を発表した。震災後の日本を一種のディストピアとして描いたこの連作は、多和田ほどの書き手にしてはいささか凡庸な「震災後小説」に思え、私のなかでは彼女への評価が一時、やや下がってしまった。しかし平成30年、つまり今年に発表されたばかりの最新作『地球にちりばめられて』は、そうした懸念を払拭する素晴らしい小説だった。
 この小説の主人公はヒルコ(Hiruko)と呼ばれる東洋人女性である。ヨーロッパに留学している間に彼女の生まれ育った「中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島」は地球上に存在しなくなってしまい、そこで話されていた言葉を共有する相手もいなくなった。そこでヒルコは、スカンジナビア諸国のどこでも通用する、「パンスカ」(汎スカンジナビアの意)という手作り言語をつくりだす。
 『献灯使』が震災後日本の特殊性を強調しすぎて失敗した作品だとしたら、『地球にちりばめられて』は多和田が暮らすヨーロッパで激増する移民や難民とそれをとりまく社会のあり方に、日本の震災避難民とそれをとりまく社会のあり方をつなぐ普遍的な回路となっている。「地球」のあらゆるところに「ちりばめられて」存在している、私たち人間の強さと弱さを公正に描いたみごとな作品だった。

 平成という時代は、「純文学」の衰弱が言われた時代だった。「文芸誌」の社会的な影響力を観る限り、それは疑えない事実である。しかし平成初期から書き続けている佐伯一麦、多和田葉子という二人の作家の軌跡を見ればわかるように、日本(語)の純文学のなかにも、この間に起きた大きな社会変動を誠実に我が身で受け止め、言語表現として結実させるために悪戦苦闘してきた作家たちがいた

 彼らの表現は日本という地域も、日本語というローカル言語も、そして「平成」というやがて終わってしまう時間軸をも越えた普遍性を持ち得ているように私には思える。

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