創作ハウツー howto

#25

「一人称/三人称」って何ですか?

王谷 晶

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新年明けましてハッピーニューイヤー、王谷晶である。正月気分も覚めやらぬこの時期、諸君はいかがお過ごしだろうか。一年の計は元旦にあり。私も初心に還って「今年こそは早めに確定申告に手を付ける」と書初めしたところである。というわけで2020年第一弾の本連載、小説を書くときの基本のキ、「一人称/三人称」について改めて語っていきたい。

一人称のメリット・デメリット

一人称と三人称とは。黄金期ジャンプで簡単に説明すると「オッス! オラ悟空!」は一人称、「一九九×年、世界は核の炎につつまれた!」は三人称だ。一人の語り手が主体になりその人物一視点からのみ語る言葉が一人称登場人物、状況を俯瞰し描写するのが三人称。もうちょっと文学的な例をあげると夏目漱石『吾輩は猫である』は一人称、川端康成『雪国』は三人称で書かれている。まあ、くだくだしく説明しなくとも、普段から書いたり読んだりしている諸君はそのへんはとっくに理解していることと思う。この「人称」に関して寄せられる質問で最も多いのは、おそらく「どっちで書いたらいいのか」だろう。

答えは「好きなほう」なのだが、ここが選べず書き出しに悩む人も多いと聞く。なので今回は一人称と三人称のメリット・デメリットを洗い出すので、どちらが書きたい作品に適しているのかじっくりチョイスしてほしい。

一人称は、主人公の語りで綴られる物語だ。メリットは主人公の心理や行動を細やかに描写できること、よって主人公をより近く感じてもらえること。キャラクターノベルを書く場合、これは大きなメリットだ。
一方デメリットは主人公がリアルタイムで見聞きしたもの以外は基本的に書けないこと。「オレの目の前で板橋大仏が音を立てて変形を始めた。なんてこった! 平和だったオレの板橋区に次々と火の手が上がっている……! そして同時に、板橋区の姉妹都市であるカナダのバーリントン市では名所イタバシ・ブリッジが変形を始め……」みたいな描写はだめである。

そして同時にって、お前は今どこで何を見聞きしてるんじゃその情報はいつ手に入れたんじゃという話だ。同じく、主人公が寝てたり気絶してる間に起こることはリアルタイムでは描写できない。「後から知らされる」とかそういう運びで描くしかない

また、同じ章の中で視点人物が変わるのも読みづらいのでおすすめしない。どうしても別人物視点を入れたい場合は、章ごとに別キャラクターを主体にして書いていくという手もある。第一章は一人称、第二章は三人称、第三章はまた別キャラの一人称……みたいな書き方をするのも、できるっちゃできるが正直読みづらいと思うので、ミステリのトリックに使いたいなどの特殊な事情がない限り避けたほうがよかろう。

読者とキャラクターの距離感

一方三人称は複数のキャラを描写し、状況を俯瞰し、点在する地点で起こった物事も同時に描写ができる。この三人称もいろいろあり、キャラクター一人の視点に沿った一人称的三人称が現代の小説では主に使われていると思う。「晶は変形する板橋大仏を前になすすべもなく膝を折った。こんなときカナダに渡ったライバル、キャプテン北区がいてくれたらと思ったが……」のように、三人称ではあるが一人の登場人物の心理や視点を描く形式だ。

とはいえ三人称なのでここからすぐに「一方、そのキャプテン北区もまたカナダで奇怪な現象を目撃していた。彼の胸に浮かぶのも、遠く離れたライバル、キャプテン板橋こと晶の顔だった……」みたいに続けられる。こうすると、最初の一人称的三人称のみの時より、カメラが遠のいて地の文と読者の間に距離が広がったのがおわかりいただけるだろうか。これを客観的ととるかよそよそしくて味気ない地の文ととるかはもう好みの問題になる。

他にもどの人物の心理も断定で描写しない三人称、例にすると「キャプテン板橋は要塞と化した高島平団地にやってきた。原因が恐怖か興奮かは不明だが、その膝が震えている」みたいなのもある。

この形式は人物が次々たくさん出てくる歴史もの・群像劇なんかは書きやすいと思うが、明確な主人公を据えた物語だとちょっとクール過ぎると感じる人もいるかもしれない。ハードでソリッドな物語を書きたいときはいいかもしれない。ハードボイルドの大家・大藪春彦先生なんか、こんな感じの三人称が多い気がする。適当に言うなって? 
でも三人称のさじ加減ってほんとビミョーなのだ。読者とキャラクターの距離感を調整する機能を果たしている。書きやすい人称を選ぶのももちろんだが、どんな距離感で読者にキャラクターを感じてほしいかも考えて、何人称で描写をするかを決めるのがおすすめです。

小説以外のでのコンテンツに学ぶ「人称」

ちなみに二人称、つまり「あなたは……」で書かれる小説というのも、数は少ないが存在する。メジャーなところだと倉橋由美子『暗い旅』や、最近の作品だと第149回芥川賞を受賞した藤野可織『爪と目』がある。邦訳は未読だがレイ・ブラッドベリの短編『The Night』も「You are only eight years old……」から始まる二人称小説だ。謎めいた雰囲気を醸す作品が多い

なぜミステリアスな小説に二人称が選ばれるのかというと、語っているのは誰なのか、語られている「あなた」は誰なのかという情報を開示するタイミングが予測できないからではと推測する。

さて今回のおすすめ作品は映画『DOOM』。人称の問題は小説だけのものと思われがちだが、他のコンテンツにも関係している。FPSという言葉をご存知だろうか。ファーストパーソン・シューティングの略語で、「本人視点」つまり一人称の視点でプレイする(主に)ガンシューティングゲームを指す。

『DOOM』はFPSの代表作である同名ゲームの実写映画化作品である。ググるとプレイ動画などが見られると思うが、原作であるゲームのほうはずっとFPS、つまり自分の姿は持っている銃くらいしか見えない一人称視点で進んで行く。映画版はふつうの三人称視点映画である。が、ラスト近くでそれがいきなりとってつけたような一人称視点になるのだ。「なるほど、一人称と三人称ってこれか」と確認するのにもってこいの映画だ。べつにこれを観なくてもみんな分かってはいると思うが……。とってつけ具合がたいそう大味で観るたび笑ってしまうのだが、人称描写の乱れた小説の可視化とも言えるかもしれない。肩肘のはらないザックリしたアクション映画なので、正月気分ついでに気楽に鑑賞してほしい。

(タイトルカット:16号

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