小説レビュー review
2018.03.27

『四十日と四十夜のメルヘン』

言葉で残すということ

木村 綾子

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 その本を読まなかったら思い出さなかったであろう記憶が、あざやかに蘇る瞬間がある。

 自宅の一角で書道教室をいとなんでいた家に育った私にとって、文字がある日常は、ごく当たり前のものとして、いちばん古い記憶をたどった先にうかぶ光景だ。
 紙は文字を書くためのものとして、とても大切にされていた。けれど、まだ文字を会得する前の幼い私にだって、なにかを書いてみたいという欲はあった。
 書道教室のいちばん隅の机で、紙と向き合う時間が好きだった。
 私よりずっと上の生徒たちは、半紙に筆で文字を綴っていたが、筆はおろか、鉛筆すら十分に使いこなせない自分に与えられたのは、広告チラシの裏だった。(半紙は筆とともにあるものだと教えられていたし、半紙と鉛筆との相性はわるく、すぐに破れてしまったから、チラシの裏でじゅうぶんだった)

 その日の習い事として生徒に課せられた文字は、多くてせいぜい四文字ほどだった。
「文字というのはその人だから、だいじにね」という言葉が繰り返される部屋は、墨の黒の匂いとともにつねに静謐としていた。早々に集中力を欠いてしまった生徒は、文字と繋がることから逃げるようにして私のもとへとやってきた。
「なに書いてるの?」聞かれるとうれしくて、書いていた絵や文字とも呼べないそれらに、言葉を与えた。与えると、かたちはまるでその言葉にこそふさわしいものに見えて、おもしろかった。
 あのころの私は、いまよりずいぶん、言葉とのあそび方が自由だったように思う。

 青木淳悟さんのデビュー作「四十日と四十夜のメルヘン」は、2003年、著者が早稲田大学在学中に発表され、第35回新潮新人賞を受賞した。さらに、第18回三島賞候補作にもなった「クレーターのほとりで」とともに単行本として刊行された作品集は、2005年、第27回野間文芸新人賞を受賞。“驚異の新人誕生”として注目をあつめた。
 チラシ配りで生計をたてる“わたし”は、文芸創作教室の講師・ニコライ先生から、新しい小説を書くことを勧められる。しかし、小説どころかまっとうに日記を書くこともままならず、それは七月四日分からたったの四日間で力尽き、ふたたび同じ日付に舞い戻っても、七月七日まで進むと後がつづかないでいた。
〈日付を追いかけては引き返し、手繰り寄せては押し戻すという行為〉さえ十分に再現できない日々のなかで、主人公はある日、配りきれなかったチラシの裏に自分だけのメルヘンを綴ることをひらめく。
 繰り返される四日間と、チラシの裏に広がっていくメルヘン。そのふたつとともに進んでいく日常……。過去と幻想、そして現実が錯綜する世界を言葉であそび、あそばれる“わたし”のすがたを、著者は言葉によって描こうとしていた。
 “言葉によって”と表現したことには理由があって、むしろそれこそが、本作の描きたかったところなのではないかと感じたからだ。

 認識するために。伝えるために。残すために。人は文字を会得する。
 文字を連ね、言葉としてものごとの輪郭を鮮明にできることとは、なんと便利であるかと感じていたけれど、実際にはとても複雑でやっかいな道具を手に入れてしまったのではないかと、いまは途方に暮れている。
 なぜか。『四十日と四十夜のメルヘン』の主人公は、言葉によって、もはや言葉では説明できない世界に絡め取られてしまったように思えるし、こんな風に「あらすじ」をまとめようと繰り返し読んでみたところで、まったく見当違いなことを言っているのかもしれないと、たじろいでもいるからだ。

 チラシの裏が言葉との遊び場だったあのころ。
 生徒のなかでもとくに気になる女の子がいた。私は、彼女のためにとうとう大作を仕上げ(もちろんそれは人が見ればただの落書きで、私が言葉をあたえてはじめて意味をなす物語だったのだけど)、その紙を小さく折りたたみ、書棚のなかの一冊の本の間に隠しておいた。反古になった半紙と一緒に捨てられないようにと、知恵をしぼってしたことだったのだろう。
 けれど、どんなに待っても彼女がふたたび書道教室にやってくることはなく、そのうち、本の間に隠したものの存在さえ忘れてしまっていた。
 チラシとの再会がおとずれたのは、ずいぶん時間が経ったのちのことだ。
 はっきりとした年齢は覚えていない。でも、目的のために本を手にした記憶はあるから、すでに文字を会得していたことになる。
 折りたたまれたチラシをひらくと、書かれていたはずのところどころが消えていた。それは魔法でもなんでもなくて、種を明かせば、ツヤのあるチラシと色鉛筆との組み合わせが、残す、という用途を満たすにふさわしいものでなかっただけのこと。でも–。
 消えてしまったところどころを補う言葉を、当時の私はもうすっかり失っていた。チラシの裏に描いた世界は、ずいぶんちっぽけなもののように見えていた。

 人が言葉で残そうとすることについて、ふたたび思いを馳せる。

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