小説レビュー review

『時空のゆりかご』

もしも、が叶ってしまうことの恐怖

木村 綾子

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 願わくは過去に戻って未来を変えたい、だとか、パラレルワールドのような世界でまったく違う自分を生きてみたい、などという「もしも」の欲求を抱いたことが考えてみたらいちどもなかった。
 なんていうと、さぞ幸福で満ち足りた人生を送ってきたのだろうなんて言う人がいるかもしれないけれど、もちろんそんなことはなくて、いっぽうで人生にすっかり絶望しているわけでもないのだから、この感覚をどう言葉にしたらいいのか。

『時空のゆりかご』の著者のエラン・マスタイは、カナダ生れの脚本家で、本作が小説家としてのデビュー作となる。刊行前から映画化が決まっていて、現在は著者みずから脚本を執筆しているという(すごい!)。
 彼が描くのは、自分の置かれた環境にも人間関係にも、満たされなさを抱く主人公が、過去に戻る術を得てそれを実行したとき、現実よりさらに悲惨な、ディストピアなパラレルワールドを作り出してしまったという残念なSF冒険譚だ。

 画期的なエネルギー源「ゲートレイダー・エンジン」の発明によって、人類は労働から解放され、衣食住にも苦しまず、幸福で快適な暮らしを送るために必要なものを誰もが手に入れていた”2016年”。それでも主人公トム・バレンの日々は鬱々としていて、母親を亡くしても父親とは不和なまま、さらにその父によって、愛する女性と、彼女が身籠っていた自分の子どもまで失ってしまう。
 復讐と再生に突き動かされた彼が、時間旅行装置のスイッチを押したところから物語は加速し、3つの世界が開かれる。それは、「ゲートレイダー・エンジン」誕生直前の1965年夏という過去、ふたたび戻ってきたはずがまったく別世界になっていた“2016年”というパラレルワールド、もとの時間軸でいまも時間を刻んでいるであろう現実の“2016年”。
 この3つの世界では、主人公トムの他にもうひとり、時間を操ることのできる人物がいる。エンジンを開発した張本人・ゲートレイダーだ。ふたりが時間操作という禁忌をおかすとき、かれらを支配する感情は、怒りと悲しみ、失意、不安、そして−−。
 トムは恋人を取り戻すために過去へ行き、戻った先はパラレルワールドだったが、まだ“生きている”彼女と出会うことはできた。しかし彼女はまったく別の人格で、トムもそこではトムではなくジョンと呼ばれる、性格も職も異なる生活者。トムはジョンの体を借りて彼女を愛し始めるが、次第にジョンに飲み込まれてゆくことに恐怖し、愛した女性もかつての恋人ではないという現実にどうしようもなく打ちのめされ、世界を元どおりに戻すために、ふたたび時間操作に手をのばす。
 ゲートレイダーは、タイムマシンを愛欲のために使い続け、そのことによって結果、最愛の女性を救うことに失敗する。
 SFという形をとっているし、次々と展開するシーンや交わされる会話は軽快。なによりも、主人公の身勝手さとダメっぷりに見落としてしまいがちだけれど、これは、愛に狂わされた者の強欲と愚かな選択を描いた恐ろしい物語なのではないか。かれらに巻き込まれたことによって運命を勝手に変えられ、存在そのものをさえ消されてしまった者たちを思ったとき、ぞっとした。

 私がこれまでに、「もしも」と疎遠でありたかったその感覚の出どころは恐怖だったのか、と気づく。
 過去や未来、あったかもしれないもうひとつの現実を思うあまりに、いま、たしかに存在しているものが見えなくなってしまうことは哀しく、恐ろしい。そして、いま以外のものに感情を奪われた人間のおこないは、ほとんどの場合失敗を招く。
 現実はいつだってままならないし、手にしているものが必ずしも人生を100%幸福にしてくれるとも限らない。生きてるうちにタイムマシンが発明されるとは思っていないけど、いつかは私にも、愛する人を失った悲しみから狂う日が訪れるかもしれない。
 ならばそのときは思おう。言葉にして何度でもたしかめよう。

 ——どんな現実にしろ、わたしは自分が存在してるほうを選ぶ。

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