小説レビュー review

第一回 戦うヒロイン

戦う少女は、戦う美少女とは限らない

三宅 香帆

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紫式部は、地獄に落ちた?

紫式部をご存知だろうか。
……ってこれはmonokaki読者さんを舐めてるな。スミマセン。紫式部は元祖「物書き」、すごく立派な作家のひとりだ。
じゃあこちらはご存知だろうか。
鎌倉時代、「紫式部が地獄に堕ちた伝承」があったこと

『宝物集』『今物語』に収録された話だ。紫式部が地獄に堕ちた理由は、当時「嘘の物語を書いて人の心を惑わすのは罪業」だったからだという1)小谷野敦「『源氏物語』批判史序説」(『文学』4(1)、2003年)

しかしこの通称「紫式部堕獄説」には同時代の裏話がある。歴史物語『今鏡』に、「あんなすてきな物語を書いた紫式部様は罪人なんかじゃないわ、観音様よ!」と語り手が反論するシーンが出てくるのだ。

しかもこの語り手、紫式部に仕えていた侍女が老婆(※150歳)になったという設定(ちなみに若い頃の名前は「あやめ」)。うーむ、源氏物語ファンによる二次創作、というツッコミが頭の中に浮かぶが、それはそれとして面白い話である。

……ってなんでここまで私が紫式部の話をしたかといえば、ただひとつ、「時代によって、キャラクターは変わる」ことを伝えたかったからだ。

時代とともにアップデートされるキャラクターたち

紫式部がいた。ただの歴史上の人物だ。だけど時や立場が変わると「罪人」あるいは「観音様」と解釈が変わる。一見同じキャラクターなのに、その細部や結論も変わっていく。
……平安時代だけの現象だろうか? 私はそうは思わない。物語の中ではいつでも同じことが起きている。

たとえば2019年の実写映画『アラジン』。1992年のアニメ映画『アラジン』から、同じキャラクターを用いつつも、解釈を変え、時代の価値観に合う設定に変更していた。ヒロイン・ジャスミンは、1992年段階でも気の強い性格の姫だった。しかし2019年のジャスミンは、より強く、自分がリーダーに立ちたいと明瞭に語る。私が王になりたいのに性別のせいで阻まれている、と語る2019年版ジャスミンは、明らかに昨今のフェミニズム文脈を意識したキャラクターだった。

――紫式部の時代から今に至るまで、価値観の変化によって、解釈や行動そして結末が変更されるのは、時代の常である。
私たち自身の振る舞いも時代によって変わるように、物語は自然と時代の思想を写す鏡になる。むしろちゃんと写せる曇りなき鏡になったとき、それが時代を象徴する物語になり得る……とも言える。

では、価値観の変化も激しい今、私たちは、どんなキャラクターを追いかけてゆくべきなのだろう? ……そんな話を、この連載ではとくに「ヒロイン」に焦点を当て、考えてゆきたい。

戦うヒロインは「戦闘“美”少女」か?

ひとつのキャラクター像として、「戦うヒロイン」というものがある。
戦うヒロイン。の例を聞くと、おそらく「セーラームーン」「カードキャプターさくら」「プリキュア」あたりの名が挙がるだろう。戦闘美少女ってやつだ。
でも、と2019年に思う。本来「戦う少女」って、「戦う美少女」に限らないはずじゃないか
これけっこう根深い問題で、たとえば『戦闘美少女の精神分析』2)斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫、2006年) という本では「戦う少女」と「戦う美少女」がほぼイコールで語られる(例p162とp163)。有名な本なんだけどねえ。

じゃあ美人でない戦闘少女はいないのか? と考えてみると、たとえば元祖「ジブリ版戦うヒロイン」の『風の谷のナウシカ』(漫画1982年~1994年、映画1984年)ナウシカは、特別美人、という描写はない。
外国を見渡してみると、たとえば『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年)のヒロイン・ジンなんかも、とくに美人という設定は存在しない。

……はずなんだけど、ナウシカもジンも、視聴者からすると明らかに「美少女」風で、何か釈然としない
キャラクターとしては特別に美少女じゃない、でもどこか美少女に見える。ふたりとも「お父さんの後を継ぐ」ことに奮闘するキャラクター(一般に「父の娘」といいます)だし、お父さん大好きな女の子が美少女、という微妙に「あーなんとなく分かるけど……」と言いたくなる設定だ。そういえばジャスミンも「父の娘」で「戦うヒロイン」で「美人」だな。
――ああ、1980年代も2010年代も「戦う少女」は「戦う美少女」とイコールなのか?

……と考えたところで、ひとりのヒロインを挙げてみたい。
1936年の小説『風と共に去りぬ』の、スカーレット・オハラ。

「容姿」という新時代ヒロインのリアリティ

スカーレットは南北戦争時代に家を奪われ家族が死ぬそんな壮絶な状況の中、男にモテつつ自分の力で商売や家庭を営み、人生を切り開く「戦うヒロイン」。が、特徴的なのは作者が彼女を「美人ではない」と綴る点だ。

映画でヴィヴィアン・リーが美人なので知られていないけれど、小説には「整った美人ではない」とある。しかし振る舞いで男性を魅了し、商売をはじめ、家庭の大黒柱となり、離婚する――ジェンダー観でいえば現代でも「先進的」と言われそうな革新的ヒロイン、スカーレット。
彼女は時代を超えて人気がある。それは彼女が「なんとなく美少女の戦うヒロイン」ではなく、「生まれついて美人でも性格がいいわけでもないけれど、世間と戦ううちに強くなるヒロイン」というリアリティあるストーリーを内包した存在だからだ、と私は考える。

ヒロインは美少女のほうが、戦闘シーンも見てて楽しい。美人のほうが、話が盛り上がる。――そんな「とりあえず美人風」な、戦うヒロインが活躍してきたけれども。
スカーレットのように、キャラクターの造型に基づいた容姿の設定を事細かく作者が書き込むことで、物語にリアリティが生まれた例も存在する

「なんとなく美人風」な戦うヒロインが好まれる時代もあるが、そろそろ私たちは、「キャラクター像に合致した容姿」をもった戦うヒロインをつくってゆくべきではないか。ジャスミンがアップデートされたように、私たちの戦うヒロインも、今。

戦う少女は、戦う美少女とは限らない。
……その一点に気をつけるだけでも、2019年の時代の写し鏡になる、かもしれない。

(タイトルカット:ゆあ

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1. 小谷野敦「『源氏物語』批判史序説」(『文学』4(1)、2003年)
2. 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫、2006年)

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