小説レビュー review

第五回 家庭的なヒロイン

戦うヒロインを支える「母性」の主体性

三宅 香帆

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戦うヒロインを支えるのは…

本連載の第一回では、「戦うヒロイン」を取り上げた。戦おう。なにかを勝ち取るために、大事な人をちゃんと守れるように。そうやって私たちは抗い、そして褒賞を得てきた。
だけど私たちは、戦うばかりでは生きていられない。充電の時間がないスマホなんて存在しないように、私たちは休まないと生きていけない。食べたり、清潔にしたり、生活をしないと生きていけない。ウルトラマンですら3分しか戦っていなかったんだよ!

休まないと戦えない
これは戦うヒロインたちにとって、なかなか重大な問題ではないか。だって――昔の戦うヒーローには、生活をかわってくれて休息時間を与えてくれる女の人が、そばにいてくれた。外で戦い、うちでは休む。ごはんやおふろの準備、シーツの洗濯をしてくれるお母さんがいて、初めてお父さんは戦うことができた。生活をくれる存在がいたのだ。

ならば物語における戦うヒロインたちは、どうやって休息をとっているのか?
――そんな疑問をもって世界を見渡してみると、「ヒロイン・ヒーローをサポートしてくれる母性のヒロイン」が随所に登場している風景が見えてくる。

『カードキャプターさくら』における休息のヒロイン

たとえば、戦う少女漫画の金字塔『カードキャプターさくら』(全12巻、CLAMP、講談社、1996-2000)。街を守るために戦うヒロイン・さくらをサポートをするのは、友人の「知世ちゃん」である。同じ学年の女の子に母性を読み取るのは、一見飛躍があるように見えるかもしれないが、彼女は毎回の戦闘の度に手作りの衣装をつくり、戦闘中もビデオカメラ片手にさくらを励ましている。学校では友人として過ごしつつ、放課後は主人公の秘密を知りつつ応援する存在となっているのだ。つまり知世は、戦う場におけるサポートではなく、ひとつの「休息」の場をつくる、というサポートを施している

結果的に知世は、さくらへの感情も含めて『カードキャプターさくら』におけるもうひとりのヒロインとなっている。そう、戦うヒロインまたはヒーローの「休息」を誰がつくってきたのか? という問題を突き詰めていくと、「もうひとりのヒロイン」つまりは「家庭(休息)のヒロイン」の存在が見えてくるのだ。

母性とは何か、という定義は難しいけれど、いったんここでは「戦う場ではなく、休息の場で人をサポートすること」だとしよう。すると、母性的ヒロイン、という系譜はある一定数存在している。

『タッチ』と『ノルウェイの森』に見る母性の葛藤

たとえば代表的なのは『タッチ』(全26巻、あだち充、小学館、1981-86)における浅倉南。――と、ここで『タッチ』を読んだことのある方なら「南ちゃんって、母性っていうより、小悪魔キャラじゃない!?」と言いたくなるかもしれない。ご指摘ごもっとも! 南ちゃんは野球部のマネージャーをしていた経緯はあれど、実家の喫茶店「南風」でも腕を揮うほどの料理上手であれど、どちらかといえば本心を明かさず男性を翻弄する存在に見える。

だけど『タッチ』の面白いところは、南ちゃんが野球に深入りしていない(=休む場にいる)のに、主人公を野球へ導く(=戦う場に連れていく)ところである。野球と別の場所にいるけれど、主人公を野球のグラウンドに連れて行く。マウンドに立った主人公を励ましつつ、自分はそのマウンドとは別の場所にいる。80年代の少年漫画における母性的ヒロインは、男性主人公を戦う場に連れて行きつつ、自分は一緒に戦うわけではなかった。ここにひとつのヒロインのテンプレートがあると見てよいだろう。

そして同じ80年代の代表的な小説『ノルウェイの森』(上・下巻、村上春樹、講談社、1987)に登場する「母性的ヒロイン」・緑を紹介しよう。彼女もまた浅倉南と同じように、一見男性を翻弄し、自由奔放に生きるヒロインなのだが、実は「関西風の料理」をつくったり、父親の介護を熱心にしたりと、小説のなかでは「生活を営む」描写の多いキャラクターとして登場している。もうひとりのヒロイン・直子が病気もあって生活の描写がないことと対照的なほどだ。主人公・僕は、家や病院といった生活の場において彼女と時間を過ごし、意外だと思いつつも緑に惹かれてゆく。

しかし彼女は言う。「いつも飢えてたの」と。彼女の生活を営む力は、父母の愛情が薄かった経緯もあり、不可抗力でつくられたものだ、と。自分から望んでつけた料理の実力というよりは、つけざるをえなかった実力なのだ、と緑は述べる。だからこそ『ノルウェイの森』においては、緑が主人公に休む場を与えるともに、主人公が緑に休む場を与える場面の双方が描かれる。それは彼女にとって休む場をつくる姿勢が、主体的なものではなく、むしろ受動的に「させられる」形の労働でもあったからだ。

2010年代の「母性」の主体性

「母性」を受け取る側からしたら、休む場をくれるヒロインは貴重だろう。だけどそこに「母性」を強制する力が(世間にも、物語にも)背後にあることは忘れてはならない

80年代のヒロインなんて古い、という声があげられそうだ。ならば2010年代にまで時をぐんと進めると、朝ドラ『ごちそうさん』(NHK、2013年9月~2014年3月)は「主婦」を主人公に据えている。朝ドラといえば、女性主人公の仕事上の自立と活躍を描くことが多く、現在も陶芸家を目指す主人公を描く『スカーレット』が放映されている。

しかし2013年下半期に放映された『ごちそうさん』では、「食べることが好き」という主人公・め以子(女優の杏が演じた)が「食べさせることが好き」な母になる過程を描いていた。と、簡単にあらすじを書いてしまうと、夫のことを献身的に支えて料理をつくる妻……という図を浮かべてしまいそうになるけれど、め以子は「家族が休む場をつくる」ことが自分の主戦場である、という図式を持つヒロインだった(その図式は戦争時代の描写などを見ても顕著である)。つまり、男性(夫)と一緒に戦うわけではないが、夫の休息の場が自分の戦う場となっている、という意識がそこには明確に見える。

『タッチ』も『ノルウェイの森』も『ごちそうさん』も、一見同じ「異性を料理や言動で支えるヒロイン」が登場する物語だ。しかしそこには「休む場をつくること」が女性にとって主体的な作業として捉えられるようになった推移が見える。そして今後、『カードキャプターさくら』のように同性を支えるヒロインも増えていくことだろう。

いつだって私たちは休まないと、戦えない。休む場もまた、ひとつの戦いの場だ。時代の推移とともに「母性」のありかたも、変わっていく。

(タイトルカット:ゆあ

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