小説レビュー review

第六回 シスターフッド

ヒロインたちのシスターフッド

三宅 香帆

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シスターフッド=男性への対抗?

セックスもしなければ、結婚もしない。だけどあなたは絶対に、世界でいちばん大切な人。
――というと、男女の話に聞こえるかもしれないけれど、ちがうんだな
本連載『新時代のヒロイン図鑑』では、多様なヒロインを考察しつつ、これからのヒロインを描くにはどんなことを考えていけばいいのか? という問いを立ててきた。最終回、取り上げるのは「ヒロインたちのシスターフッド」である。
シスターフッド。古今東西の物語において、男性に対抗する女性同士の連帯を綴った物語は多い。

たとえば、古典的なシスターフッドの物語『赤毛のアン』。赤毛のアンといえば、ギルバートとのやりとり(石板!)が有名だが、実は明らかにアンとダイアナのシスターフッド関係が描かれている。

「アンは明らかに一生ギルバート・ブライスをきらう決心をしたらしかった。
 しかし、ギルバート・ブライスを憎めば憎むほどダイアナを、おなじような激しい熱情で小さな胸の底から愛した」

『赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1』モンゴメリ著、村岡花子訳、新潮文庫

アンがダイアナとの関係を語るとき、男性の存在を挿入し、その彼を排除する形で自分たちの愛情を示す……という構造が多い。

「あたしとてもダイアナが好きなのよ、マリラ。ダイアナなしじゃ生きていられないの。でも大きくなればダイアナはお嫁に行ってしまって、あたしをおいてきぼりにしてしまうってこと、わかってるんですもの。そうしたら、ああ、どうしたらいいかしら? ダイアナの旦那さんを憎むわ――ひどく憎むわ」

『赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1』新潮文庫

ギルバート、あるいはダイアナの未来の夫を敵対視する形で語られる、アンとダイアナの愛情。――そう、女性同士の関係を描くとき、実は意識的か無意識的か、「男性への敵視」が一緒に語られることは多い。女性の仲良い関係を壊すのは男性だとする考え方があるからだろう。古典的なシスターフッドの系譜である。

2019年のシスターフッド

そもそもシスターフッドという言葉が、家父長制に対抗する際に女性同士が連帯することを指す。それゆえ、女性同士の連帯には男性への対抗がセットのように見える。だけど一方で、こうも思う。「女性同士が連帯しようとするとき、かならず敵は男性になるのか?」と。
ここで2010年代現代日本のシスターフッド物語を取り上げよう。『アラサーちゃん 無修正』(峰なゆか、扶桑社)、『裸一貫! つづ井さん』(つづ井、文藝春秋)だ。

『アラサーちゃん』は2019年11月に最終巻が発売され、物語の幕を閉じた。2010年代初期から男女の恋愛を追い続けてきた漫画の結末で、シスターフッド的関係性が生じる。主人公のアラサーちゃんと、恋敵だったゆるふわちゃんがふたりとも男性と別れ、ふたりの間の友情が残る。最後のコマはふたりが手をつなぐ場面が描かれるのだ。

この結末においては一見、恋愛の対抗軸として友情が発生したように思える。しかし、アラサーちゃんやゆるふわちゃんは、お互いが恋敵でなくなったから仲良くしたわけではない(男性と別れる際すでにアラサーちゃんはゆるふわちゃんのことを想っている)。二人はそれぞれ意中の相手と別れ、ひとりになったことを認識する。そこからお互いをたたえ合うように、そして励まし合うように、手をつなぐのである。そこには恋の対抗馬ではなく、お互いがひとりになったことへの励ましあいとして、シスターフッドが生まれている。

また『裸一貫! つづ井さん』は2019年9月に発売されたエッセイコミックだが、『腐女子のつづ井さん』(2016-2018、KADOKAWA)の続編となっている。語り手のつづ井さんと、彼女の友人たちとの「オタク」の生活を綴っているのだが、注目すべきは友人のひとりであるオカザキさんが街コンに行ったことをつづ井さんに話す場面。街コンに行っても、友人たちと過ごす時間を思い浮かべ、結局友人たちと過ごす時間を優先したくなる、とオカザキさんは述べる。

「相手に失礼すぎるんだけどどうしても皆との時間より優先したいとは思えなくて… 仲間と過ごす楽しさを私は知っちゃったから…知る前にはもう戻れなくなっちゃった…」
ここで彼女は、彼氏をつくりに行くよりも、こっちで友人たちと遊んでたほうが楽しいから、こっちを私は選択するよ……と述べている。つまりこれは、恋人や結婚という枠組みに捕らえられるよりも、自分が楽しいほうを選択しようと思う、という宣言なのだ

シスターフッドは不自由に抗う

『アラサーちゃん』『つづ井さん』といった2010年代の女性像を描いた物語を見るにつけ、考える。2019年のシスターフッドは、「男性へ対抗するために女性が連帯する関係性」というよりも、「既存のイデオロギーへ対抗するとき、個人同士が励まし合う関係性」、という見方をすべきではないだろうか、と。

既に世間で存在するあらゆるイデオロギーから外れ、ひとりで生きている者同士が、励ましあうように、手をとること。そこにシスターフッドと従来呼ばれていた関係性が生まれている。……というのが2010年代のシスターフッド・ヒロインのありかたではないか。
だからこそ『アラサーちゃん』も『つづ井さん』も、独立した個人として手をとりあう。必ずしも対抗したい相手が男性とは限らず、もっと大きな、世間の常識や思想に抗う個人たちの集まりだから。

だとすれば本来の敵は男性ではなく、たとえば個人を家族という枠組みの中に「いなくてはならない」とする家父長制の幻想だろう。本質的には男性と女性のシスターフッドもあり得るはずだ。

――ヒロインたちは、ひとりでだって、生きてゆく。その先にシスターフッドは存在する。
当然だが、人間同士の関係性は、家族や恋愛といったロマンチック・ラブ・イデオロギーだけに縛られるものではない。友情という名すらつかなくても、ただ時間をともに過ごし、ひとりの独立した人間として励まし合う関係において、かえのきかない相手になることができる。

これまで紹介してきたさまざまなヒロインも、世に流布するさまざまな既存の物語――たとえば美少女の幻想、姉妹の幻想、家庭的な女性像という幻想など――から少しずつずれながら、自分の物語を生み出してゆく。世のイデオロギーを内包しながら、世のイデオロギーに抗ってゆくのが物語だからだ

ヒロインたちは、戦いながら、励まし合いながら、生きてゆく。そんな物語がひとつでも増えれば、こんなに嬉しいことはない。

(タイトルカット:ゆあ

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